吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)十一月小十九日庚子
相模国の大庭御厨の俣野郷(藤沢市西俣野)に大日如来を祀るお堂があります。
今日、そこへ田畑を寄付しました。無期限に、仏様へのお灯明の油代にあてるのです。
このお堂は、亡くなった俣野五郎景久が帰依していお寺です。御本尊は、昔権五郎景政が生きていた頃に、伊勢神宮のお社は二十年に一度式年遷宮で建て替えの時、その古い柱を下し賜りそれで建設したそうです。権大僧都頼親の部屋で開眼供養の儀式を行い、東国の人々を守ってもらうよう、祈りを込めて安置しました。仏様の御心の現れがあきらかです。仏性の世界内陣も俗人の世界下界もともに御利益を疑う必要は無いでしょう。その遺産をついだ管理人の俣野五郎景久が滅びてしまったので、お堂や建物も傾いてしまっております。仏像は、雨露にさらされ、俣野景久の未亡人は日夜そのことを嘆いて、寝ても覚めてもその修理を思いつめていました。
三浦介義澄は、この話を聞きつけて、元々仏教に熱心なので、お寺の再興と繁栄とを取り次ぎました。
「いくら俣野五郎景久が頼朝様の反逆者だとは云っても、先祖の権五郎景政は、源氏の忠義な家来でした。本尊の材木の起源も、建物の由緒も、施主が当初に誓約したような形通りに、建物などを守るようにしなさい。」と、命令があり、寄付がありましたとさ。
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