吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)八月小二十九日辛巳
鶴岡八幡宮の上下の宮の常に絶やさない灯明の油代について、大物の御家人の大名に負担させるために、月ごとの順番を組んで差し出させるように、普段決めておりましたが、たまに滞納があると聞いております。
そこで、今日から人数を増やすことにして、日ごとの順番に決めました。これなら、一度の負担が少ないので、滞納はないでしょう。その内の月初めの五日間は、頼朝の分として幕府の負担です。毎日八幡宮寺へ持っていくように、足立清常の所属に文書を出すことにしたそうです。二階堂藤原行政が担当します。
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