吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)九月大三日甲申
陸奥国平泉の毛越寺の塔は、特に修理をするように、奥州奉行の葛西兵衛尉清重と現地管理人の留守所職の井沢左近将監家景達に命じられました。それは、倒れかかっていると云ってきたからです。
泰衡は滅ぼしても、その寺院の建築物は元のように維持するように、前に言いつけておいたからです。なんと仏教施設の興隆へのお志は、前代未聞の功徳ですね。
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