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2024年6月20日 (木)

吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)五月小二十日甲辰

曇り時々小雨。卯の刻(午前六時頃)に天王寺へ出発です。御家人たちに割り当てて人夫を出させました。
それは頼朝様の船を曳かせるためです。京都の町中は牛車で、小椋池の鳥羽殿から船にしました。丹後二品局高階栄子の船を借りました。一条二品禅室能保様と一緒に行こうと約束していましたが、一条能保は船を用意して、道路に面した荘園に雑用を割り当てていると、耳にしました。これは、頼朝の考えと違ったので、それは受ける訳にはいかないので、一緒に行くのをやめることにしたのだそうです。日中に渡辺の津(港)に到着しました。ここからは牛車です。御台所政子さまも牛車を並べます。女官達の衣服の裾をのぞかせた牛車が続きます。

それぞれ行列をそろえました。警護の軍隊などのお供は皆、馬に乗っています。
 先を行く警護兵
  畠山次郎重忠   千葉相馬次郎師常
  村上判官代基国  新田蔵人義兼
  安房判官代高重  所雑色基重
  武藤大蔵丞頼平  野三刑部丞成綱
  加藤次景廉    土肥先次郎惟平
  千葉三郎次郎   小野寺太郎道綱
  梶原刑部烝朝景  糟谷藤太兵衛尉有季
  宇佐美三郎助茂  和田五郎義長
  狩野介宗茂    佐々木仲務丞経高
  千葉境兵衛尉常秀 土屋兵衛尉義清
  後藤左衛門尉基清 葛西兵衛尉清重
  佐原左衛門尉義連 比企右衛門尉能員
  下河辺庄司行平  榛谷四郎重朝
 頼朝様の牛車
 すぐ後ろのお供(水干)
  源蔵人大夫頼兼  越後守頼房
  相模守大内惟義  上総介足利義兼
  伊豆守山名義範  前掃部頭中原親能
  豊後守毛呂季光  前因幡守大江広元
  左衛門尉小山朝政 右衛門尉八田知家
  左近将監大友能直 右京進藤原季時
  三浦介義澄    梶原平三景時
 後へ続く警護兵
  北条小四郎義時  小山結城七郎朝光
  修理亮関瀬義盛  奈古蔵人義行
  里見太郎義成   浅利冠者長義
  武田兵衛尉有義  南部三郎光行
  伊沢五郎武田信光 村山七郎義直
  北条五郎時連   加々美二郎長清
  八田左衛門尉知重 梶原源太左衛門尉景季
  阿曽沼小次郎親綱 和田三郎義実
  佐々木三郎兵衛尉盛綱 大井兵三次郎実春
  小山五郎長沼宗政 所六郎朝光
  氏家五郎公頼   伊東四郎成親
  稲毛三郎重成   宇都宮所信房
  千葉新介胤正   足立左衛門尉遠元
 一番後ろ 和田左衛門尉義盛〔家族の侍と家来を連れている〕

正午頃に天王寺へ着きました。まず念仏所へ入りました〔寺の外〕続いて御本尊へのお参りです。最高責任者長吏定恵法親王が、前もって洗礼の場の灌頂堂でお待ちになられておりました。将軍頼朝様はすぐに挨拶をされました。次ぐに天王寺の寺宝を拝見しました。その後法親王はお帰りになり、頼朝様も宿舎へ帰られました。その後、剣〔銀で拵え、蒔絵が施されています〕を聖徳太子を祀る太子堂に奉納しました。馬一頭〔糟毛、銀作りの鞍をおく、一揃えの房のついた尻にかける飾りの鞦を掛けています〕を法親王に引き送らせました。小山左衛門尉朝政が使いをして、剣については法親王が使いを朝政に付けて、宝蔵へ納められたそうです。その他に絹の布類を寺中の僧侶に与えられましたとさ。

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