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2024年6月19日 (水)

吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)五月小十八日壬寅

将軍頼朝様は、天王寺へお参りに行くのですが、途中は船(淀川)をお使いになられるようです。
それは、陸路は大変だと一条二品禅室能保様が申されるからです。しかし、この事により、公卿どもが旅の途中のお世話をするために、負担を自分の所領に分配するようにと、一部では云って来たり、噂が飛んだりしたので、将軍頼朝様は特に驚かれました。早くやめるようにと、それぞれに伝えさせました。
これは、仏縁にめぐり合うために、聖地へお参りをする計画である。もし、他人に費用を使わせては、かえって仏様のお気持ちに背くことになるのではないか。特に謹んで遠慮すべきだそうな。
中国後漢の楊震は、黄金のわいろを辞退し、わいろへの恥を天・地・汝・我の四者に知られると配慮をした。唐の玄宗皇帝は驪山宮(楊貴妃のための華清宮)を造り、一度も行幸がしなかったと云う名誉を残しました。
今人々の財産を大切に思い、恐れ多くもご自分の用事を後回しにしました。節約倹約を色々考えて推し量ることは、なんと古の人々を超えていることでしょう。後でこの話を聞いた人で、褒め称えない人はありませんでしたとさ。

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