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2024年5月16日 (木)

吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)二月小九日乙丑

大庭平太景能入道が、上申書を提出しました。
これは、頼朝様が兵をあげた最初から大きな手柄を立ててきましたが、ある罪を疑われて鎌倉から追い出された後は、悲しみと鬱憤とに明け暮れながら、既に足かけ三年もたっております。今となっては後どのくらい生きられるものか分かりません。早くお許しをいただき、今度の京都へ上られるお供の内に加えていただき、老後の名誉にしたいのだと、書かれていました。そこで、すぐに許され、そればかりかお供をするように仰せになられましたとさ。

説明大庭平太景義入道は、岡崎四郎義實と供に建久4年(1193)8月24日に、曾我兄弟の仇討ち事件で出家謹慎をさせられている。

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