吾妻鏡第十五巻 建久六年(1195)三月大四日己丑
晴れです。将軍頼朝様は、近江国の鏡宿(滋賀県蒲生郡竜王町鏡に鏡神社)を出発し、馬の手綱を進めておられました。
そしたら、比叡山の武者僧達が、瀬田橋あたりまで山を下りてきているのを発見されました。いかにも橋を渡った向こう側にたむろしている状態です。将軍頼朝様は馬を橋の手前東側で馬を止めて、挨拶をすべきかどうか悩まれました。少しして、小鹿島橘次公成をお呼びになり、僧兵達のところへ行って、事情を伝えさせました。
橘次公成は僧兵達の前にひざまずいて、話をしました。
鎌倉の将軍様が、東大寺の落慶式に仏との縁を結ぶため京都へ上るのですが、みなさんが群集しているのは、どういうことなのでしょう。危険を感じて不安に感じられております。しかし、武士の作法としては、このようなところでわざわざ馬を下りて礼を尽くす事はありません。そこで馬に乗ったまま通ります。もしあえてこれをとがめだてをしないよう。」と云ったらば、返事を聞く前に、お通りになられました。
僧兵の前へ来た時に、弓を構え直して多少厳しい顔をしました。そしたら僧兵は皆身を低くして頭を下げましたとさ。
橘次公成は、子供の頃から京都へ出入りをし、何事も昔の作法などに通じているので、この役目を引き受けたならば、実に言葉が上手でオウムのくちばしが立派なことを言ったので耳がびっくりしている。また、その態度はきちんとしていて、まるで竜虎の勢い目を見張る思いです。僧兵達も感心し、誰もが褒め称えましたとさ。
灯りを灯す時間になって六波羅のお屋敷に入られました。それを見物する公卿たちの牛車は、方向転換ができない程の混みようでしたとさ。
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