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2023年9月

2023年9月30日 (土)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)四月小十三日己酉

二男の若公(後の実朝)が急病で、大騒ぎになりましたが、無事に治りましたとさ。

2023年9月29日 (金)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)四月小十一日丁未

住吉神社の神主昌助が、頼朝様が留守の鎌倉へやってきて、幕府の女官を通じて申し入れました。
先月の後白河法皇の一周忌の恩赦で、流罪を許され国へ帰るように、太政官から命令「太政官布」を貰ったんだそうです。
それは、昔の治承三年五月三日に伊豆国へ流罪されたからです。普段は、まだ恩赦を受けていないのに、内緒で将軍頼朝様に仕えていたのだそうです。

2023年9月28日 (木)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)四月小二日戊戌

那須野をご覧になられました。昨夜の真夜中に狩の追いたてをする「勢子」を入れました。
小山左衛門尉朝政と宇都宮左衛門尉朝綱、八田右衛門尉知家が、それぞれ千人の勢子を提供しました。那須太郎光助が弁当を献上しましたとさ。

2023年9月27日 (水)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小二十五日壬辰

武蔵国入間野(埼玉県入間市)で、鳥を林から追い出して射る「追鳥狩」がありました。藤沢二郎清親が百発百中の腕を披露しました。雉を五羽、鶬(まなづる)を二十五羽も捕って、名人の名をあげました。
将軍頼朝様は、感心の余り、乗っていた馬〔一郎と呼びます〕をご自分の手で引いて引き出物に与えました。
これは、ご先祖様の将軍源頼義が安陪貞任を征伐した後、春の野遊びがありました。清原武則が一本の矢で二羽の翼を射捕りました。その時、将軍頼義は自ら馬の轡(くつわ)を取り、引き出物にしたそうです。その例を思い出されたのでしょうか。
かの中国の
賈氏(かし)は皐(こう)へ行って女性の情けに預かり、この藤沢清親は野原で主人のお褒めに預かりました。
馬上弓の手柄は、鳥を射て遊べば、是が究極の腕なんだとさ。

2023年9月26日 (火)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小二十一日戊子

後白河法皇の一周忌までは、諸国で殺生の狩猟を禁止していました。その日にちも既に過ぎ去りました。そこで、将軍頼朝様は、下野国(栃木県)那須野の獲物の様子を見るために、信濃国三原(長野県須坂市)の狩猟場へ今日出発しました。
これは、普段から狩猟に馴染んでいる連中を呼び集めるためなのです。そのうち、乗馬弓に達者で、腹心の者達二十二人を選考して、それぞれ弓箭を携帯させました。その他の御家人達は、たとえ一万騎も集ってはいても、弓箭を携帯しないで、馬の足踏みで地面を揺さぶり獲物を追い立てる役をするようにきめられましたとさ。その二十二人は、

 江間四郎北条義時   武田五郎信光  加々美二郎長清  里見太郎義成
 小山七郎朝光     下河辺庄司行平 三浦左衛門尉義連 和田左衛門尉義盛
 千葉小太郎成胤    榛谷四郎重朝  諏方大夫盛澄   藤沢二郎清親
 佐々木三郎盛綱    渋谷次郎高重  葛西兵衛尉清重  望月太郎重義
 梶原源太左衛門尉景季 工藤小次郎行光 新田四郎忠常   狩野介宗茂
 宇佐美三郎助茂    土屋兵衛尉義清

2023年9月25日 (月)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小十六日癸未

平家の残党の越中次郎兵衛尉盛継を始め、京都の近国に隠れていると噂が流れて来ました。
早く征伐するようにと後藤新兵衛尉基清に命令を出されましたとさ。

2023年9月24日 (日)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小十五日壬午

近いうちに、那須野原で巻狩をしたいので、御殿場の鮎沢に舘を構えているのを、宿場の人足達を使って、下野(栃木県)へ分解して運ばせましたとさ。

2023年9月23日 (土)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小十四日辛巳

東大寺の修理について、門覚上人が播磨の国を管理し、その年貢を修理に当てるために支配するように、将軍家頼朝様が配慮して命じられました。これは、その工事が未だにはかどらないからです。

2023年9月22日 (金)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小十三日庚辰

後白河法皇の一周忌を迎えたので、法事を行いました。千人の坊さんがお経を上げるのです。布施は、一人づつに白い布一反、藍色に染めた布一反、米一袋です。武蔵守大内義信が仕切りました。
この式典のため、長老の坊さん千人を決めて、指導者(リーダー)も決めました。それで、それぞれが百人の坊さんをつれて、ちょうど良い仏教道場を指定して、接待や布施の手配をするために、百人ごとに二人の担当者を付けられたそうです。

 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 若宮別当法眼円暁  担当は、大和守山田重弘 と 大夫属入道三善善信
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 法橋行慈      担当は、主計允藤原行政 と 掘藤太
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 法眼慈仁      担当は、筑後権守俊兼  と 広田次郎邦房
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 法橋厳耀      担当は、法橋一品房昌寛 と 中四郎惟重
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 法橋宣豪      担当は、平民部烝盛時  と 小中太光家
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 密蔵房賢      担当は、大友左近將監能直と 前武者所家経
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 阿闍梨行実     担当は、大和判官代邦道 と 九郎藤次
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 阿闍梨義慶     担当は、比企藤内朝宗  と 勝田玄番助成長
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 阿闍梨求仏     担当は、足立左衛門尉遠元と 法橋義勝房成尋
 一組の僧〔百人の坊さんが従います〕 阿闍梨専光     担当は、隼人佑三善康淸 と 中條前右馬允家長

2023年9月21日 (木)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小十二日己卯

江間殿北条義時が伊豆国から戻られました。先日来病気のために国許におられたのだそうな。

2023年9月20日 (水)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小九日丙子

那須太郎助光が、下野国の那須郡内北条の内の一村を与えられました。
これは、来月那須野で狩猟のお遊びをなさるので、その費用のために与えられたんだとさ。

2023年9月19日 (火)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小四日辛未

今度の十三日は、後白河法皇の一周忌です。
そこで、千人の坊さんによる法要をするので、その日のためにそれぞれ鎌倉御所へ参加するように、寺々に知らせさせましたとさ。筑後権守俊兼がこの担当です。

 鶴岡八幡宮  勝長寿院 永福寺 伊豆山走湯権現
 箱根権現神社 高麗寺(髙来神社)大山寺(阿夫利神社) 金目観音

2023年9月18日 (月)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小三日庚午

鶴岡八幡宮で上巳の節句の法要です。将軍頼朝様はお参りしました。
奉納の舞楽は予定通りです。但し今回は、先月七日から練習させていた八幡宮の長官・お供の坊さん達の弟子や御家人の子供達が踊りの役をしました。

2023年9月17日 (日)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小二日己巳

東大寺建設の人夫の食料用に使う年貢米について、特にきちんと処理するようにとの命令を、周防国の地頭に通知させましたとさ。

2023年9月16日 (土)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)三月小一日戊辰

若君の万寿丸様(後の頼家)が、油井の浦で、右手下に置いた笠を射る「小笠懸」をしました。
結城七郎朝光がお手伝いをしました。

2023年9月15日 (金)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大二十八日乙丑

京都へ大番役で警備をちゃんとしている御家人達に、与える褒美は、近い関東の幕府に勤務している者たちよりも余計に与えるように、頼朝様が仰せになられましたとさ。

2023年9月14日 (木)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大二十七日甲子

鶴岡八幡宮寺の舞殿を、最近新築することにしました。
今日立ち上げ始めました。主計允藤原行政(二階堂)が担当指揮で、将軍頼朝様が視察なされましたとさ。

2023年9月13日 (水)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大二十五日壬戌

北条平六左衛門尉時定が、京都で亡くなりました。北条時政殿に深く信頼されて、代官の役をしており、又鎌倉幕府の派遣人として京都に居りました。沢山の手柄を立てていたので、皆が惜しんでいました。
  前左衛門尉平時定〔年は数えで四十九歳〕。
   北条介時兼の息子です。
  文治二年(1186)七月十八日に左兵衛尉に任命されました。
  文治五年(1189)四月十日左衛門尉に任命されました。〔後白河法皇の賀茂祭りのお祈りの警備をした手柄です〕
   建久元年(1190)七月十八日辞任しました。

2023年9月12日 (火)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大十八日乙卯

畠山次郎重忠が報告して云うには、丹党と児玉党の連中が戦いを始めようとしていた事については、双方を止めに入ったので両党は仲直りして、お互いに兵を引き上げましたとさ。

2023年9月11日 (月)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大十日丁未

毛呂太郎季綱は褒美〔武蔵国泉勝田(比企郡滑川町和泉)〕を与えられました。
頼朝様が
伊豆の蛭が小島に流罪になっていた時、下働きが不真面目で食物にありつけず、毛呂太郎季綱の辺りまでうろついていきました。その際、毛呂季綱は特に恐れ多いことだと思って、手助けをしようと伊豆へ食物を送ってくれたので、今は身寄りのない身ではあるが、この親切に必ず後に御礼をすると、お思いになっておられたからなんだそうな。

2023年9月10日 (日)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大九日丙午

武蔵国の丹党(児玉郡上里町)の一族と児玉党(児玉郡児玉)とが、お互いに自分の意見を主張して譲らず不和になりました。
今すぐにでも戦いを始めそうなのだと、お耳に入りましたので、直ぐに鎮め治めるように、武蔵国の軍事統制権を持つ検校職の畠山次郎重忠に命令されましたとさ。

2023年9月 9日 (土)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大七日甲辰

来る三月三日の鶴岡八幡宮の法要での舞楽について、今までは伊豆走湯神社や箱根神社の稚児を呼びつけて、実施していたけれど、八幡宮にも坊さん達やその門弟も既に大勢居ます。又御家人の子供達の中から、ふさわしい少年を選んで、音楽を習わせるように、八幡宮長官の法眼円暁に命じられましたとさ。
この事によって、因幡前司(大江広元)の息子の摩尼珠、大和判官代邦道の息子の藤一、筑後権守俊兼の息子の竹王などが、その選考に応じましたとさ。

2023年9月 8日 (金)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)二月大三日庚子

後白河法皇の一周忌の法要のために、御家人に命じて集めた帖絹(つむぎ)五百匹(千反)を京都へ送られました。
佐々木四郎左衛門尉高綱が取次ぎをするように命じられました。因幡前司(大江広元)の指揮で、今日出発しましたとさ。

2023年9月 7日 (木)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小二十八日丙申

南御堂勝長寿院の傍らに別荘を建てるように、お決めになられましたとさ。

2023年9月 6日 (水)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小二十七日乙未

安房平太能勢高重を始めとする御家人は、新しい地頭を与えられました。(大江)広元と藤原行政(二階堂)が担当をしましたとさ。

2023年9月 5日 (火)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小二十六日甲午

去年の十二月三十日に、京都朝廷が銭の使用を禁止するように、命令が出ましたと、一条能保が云ってよこしましたとさ。

2023年9月 4日 (月)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小二十日戊子

三浦介が統括する三浦一族の中に、惣領義澄の云うことを聞かない者が居ると、噂を聞いたので、早く命令に従うように、命じて下さいましたとさ。

2023年9月 3日 (日)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小十四日壬午

京都高雄神護寺の門覚上人から伝言がありました。
東大寺の修復がとても終えそうも有りませんと、舜乗房重源が嘆き訴えています。後白河院の時は、費用として米二万石を寄附してくれましたけど、現地の
周防国司藤原公基は着服することばかりを考えていて、ちっとも実施してくれません。今となっては、関東の将軍から指図してくれなければ、成功することは無いでしょうとの事です。
そこで後白河院の支配する国のうち、備前国を文覚に預けて、その年貢で東大寺の費用に当てるように、京都朝廷へ云って下さい。又、保元の乱以来、だめになってしまっている荘園を建て直しました。そこで、土御門通親に天皇から命じてもらうように、お決めになられましたとさ。

2023年9月 2日 (土)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小十日戊寅

勝長寿院南御堂での正月のお経を上げる正月会なので、将軍頼朝様は出席なさいましたとさ。

2023年9月 1日 (金)

吾妻鏡第十三巻 建久四年(1193)正月小五日癸酉

工藤左衛門尉祐経の家に、怪しげな鳥が飛び込みました。鳥の名は分かりません。形は雉の雄に似ていましたとさ。占ってみるときちんと神仏を祀って良い政治を行いなさいとのことなので、お祈りをしましたとさ。

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