2024年4月22日 (月)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十二月大六日壬戌

相模・武蔵両国の年貢を雑用に預けて京都へ送られました。

2024年4月21日 (日)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十二月大二日戊午

幕府がその安泰を願って祀る寺社の担当者を決め置かれておられます。しかし、今日更にそのことについて命令があり、人数を追加することになりました。

 鶴岡八幡宮〔上下共に〕
  大庭平太景義    藤九郎盛長     右京進中原季時     図書允清原清定
 勝長寿院
  因幡前司(大江)広元 梶原平三景時    前右京進中原仲業    豊前介源実景
 永福寺
  三浦介義澄     畠山次郎重忠    義勝房成尋
 同阿弥陀堂
  前掃部頭中原親能  民部丞藤原行政   武藤大蔵丞頼平
 同薬師堂〔今新しく造る〕
  豊後守源季光    隼人祐三善康清   平民部丞盛時

2024年4月20日 (土)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十二月大一日丁巳

将軍頼朝様は、藤九郎盛長の甘縄の家へ行かれました。
彼が担当している上野国の寺社については、彼が全て支配(得分)するように、この場においてこの命令を受けました。

2024年4月19日 (金)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小二十七日乙卯

鎌倉に近い国の一の宮と国分寺の壊れたところを修理するように、命じられました。

2024年4月18日 (木)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小二十六日甲寅

武蔵と相模の両国の年貢を京都へ送られました。
主計允藤原行政(二階堂)、右京進中原仲業、源実景が担当しました。幕府の使いの雑用は時沢と成里だそうです。

2024年4月17日 (水)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小二十三日辛亥

北条時政殿と江間殿(北条義時)が三島から鎌倉へ戻りました。願成就院の修理工事を終えられたんだとさ。

2024年4月16日 (火)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小二十一日戊申

三島大社の催事です。特に身を清めて、鶴岡八幡宮境内の三島神社の末社へお参りなさいました。
また、御霊神社の前の浜辺で、千回の小笠懸がありました。和田左衛門尉義盛が指揮担当しました。
 射手は、
  武田太郎信義  対 同五郎信光
  小山五郎宗政  対 同七郎朝光
  境兵衛尉常秀  対 三浦兵衛尉義村
  工藤小次郎行光 対 榛谷四郎重朝
  小鹿嶋橘次公業 対 渋谷次郎高重
  足利太郎親成  対 梶原兵衛尉景高
  土屋兵衛尉義清 対 所雑色基繁
  藤沢次郎清近  対 愛甲三郎季隆
  佐々木三郎盛綱 対 同五郎義清
  曾我太郎祐信  対 広沢三郎重義

2024年4月14日 (日)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小二十日丁未

永福寺内の薬師堂の開眼供養に指導僧を始めとする坊さん達へのお布施の品物が京都から到着しました。
前掃部頭中原親能が担当指揮して調達した物です。

2024年4月13日 (土)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小十九日丙午

多気太郎義幹が嘆き訴える文章を提出しました。
他人から有りもしない悪口をでっち上げられ、領地を取上げられてしまったと、狩野介宗茂がこれを取次ぎました。

2024年4月12日 (金)

吾妻鏡第十四巻 建久五年(1194)十一月小十八日乙巳

江間殿(北条義時)が、神に幣帛(へいはく)をささげる代理として、伊豆国三島大社へ参られます。今朝出発されたそうです。

説明幣帛は、榊(さかき)の枝に掛けて、神前にささげる麻や楮(こうぞ)で織った布。

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